名こそ惜しけれと言う言葉もだいぶ久しい世の中となったが、名族が跋扈した戦国関東において芦澤氏はその荒波を乗り越え後世までその名を伝えた。
封建領主に成長した守護大名や戦国大名の領国支配のパワーバランスの中で立ち回り、ある時は在地領主として大名に扈従し家臣団に組み込まれて戦役をこなし、ある時は領主を輔弼し事務方として地域統治を担う事で立場を確立してきた。
戦国期に山梨県南部国中地域、主に富士川流域を中心に足跡を残した芦澤氏は幾多の荒波を乗り越えある者は伝来の土地を守り続け、またある者は新たな活躍の場を求めて各地で活躍し明治を迎えた。
歴史に足跡を数多く残した守護大名やその一門衆と比べ、発給文書などのない所謂土豪、地侍についてはとにかく情報が少ないなか、その断片を集めその一族の輪郭を明らかにして行きたい。
写真は長野県伊那市美篶芦沢のバス停(2010年8月撮影)