歴史に興味がある人はふらっと図書館に寄った際一度はめくった事があるんじゃないでしょうか?
子供の頃になんの気なく図書館でめくった辞典には以下の様な記載がありました。
それに今だに取り憑かれています。
葦澤 アシサハ
蘆澤と通じ用ふ。信濃、甲斐、磐城等に葦澤村あり。此の氏は此等の地名を負ひしにて左の数流あリ。
1 大森氏流 伊豆の名族にて藤原北家大森氏の族なり。淺羽本大森葛山系圖に、 「伊周三世孫、鮎澤惟兼‐圖惟経、此の人葦澤と號す、伊豆佐渡土倉領主」と見ゆ。
2 大江氏流 信濃の名族にて、大江氏系圖に、「海東廣房‐挙房‐豊忠(信濃國藍澤庄)其弟元忠(賜同信濃國蘆澤庄)‐忠重 ‐忠秀(蘆澤)‐忠長(芦澤)」と見ゆ。家紋丸に桔梗、一文字三星、抱澤潟、或は諏訪郡蘆澤は神氏族とも云ふ。
3 磐城の蘆澤氏 磐城國田村郡蘆澤より出ず。蘆澤治部景尚、天正二年田村清顕に討たる。
4 甲斐の葦澤氏 大江廣元の男毛利蔵入秀光の後にして、信州蘆澤より起ると云へば第二と同流なり。美作守元忠元の男頼母(伊賀守元辰)本州に來る。
紋五三桐、巨摩郡に蘆澤村あリ。叉甲州國志に「金丸氏の族中込和泉守道昌男子なく、下山の蘆澤伊賀元辰を養子とす。」と見ゆ。なぼ山梨郡の蘆澤氏は大森氏の族なりとも云ふ。叉御獄衆に蘆澤あり。
読んだ時の感想はなんのことやらと言う感じでしたが、一文字三星と言う家紋は知っていたので2はなんか関連あるかな?と思っていました。
写真は国会図書館 (2024年9月)